昨日、一昨日と榛名での稲刈りの体験を通じて思った事は、いまの社会は「効率よく無駄をなくして」と言う事ばかりに気をとられていた様に思いました。
農業でも社会でもより効率よく生産性のよい事ばかりに目をむけていた結果、農業では大量の農薬を使い虫さんも寄り付かない生産性には都合のいい野菜が増えた反面、様々な病気も増えました。
農作業も機械化が進み手作業が減りましたが、反面、食物に対する感謝を忘れてしまいました。
社会でも能率主義が主流となり、二極化が進み気がつけば「自分さえよければいい」と言う風潮が増えました。
結果、悲しいニュースが連日の様に報道されるようになりました。
榛名で、自然農法に触れる機会を与えていただくなかで「無駄なもの」と思われていた雑草さんや虫さんたちが、決して無駄ではなく美味しい野菜をつくるうえでは欠かせない「大切な役割を果たしている」事を知りました。
手作業で汗を流し疲れる作業をした後の食物の美味しさと食物に対する感謝の気持ちを学びました。
それは社会でも同じで、自然界には決して無駄な人なんていない事を教えてくれています。
人間にとって、より多くの利益をえるために「効率」を最優先にしてきた事が、いま多くの病気などを生んでいます。
人間にとって無駄なものでも、自然界にとっては、決して無駄なものではなくて、無駄と思われていたものが本当は一番大切なものだった事を自然が教えてくれました。
「虫さんが近寄れない雑草が生えない」土で作ったものが人間にいいわけもなく、病気が出ても当然だと実感しました。
最近は、自然農法への関心が高まり、消費者である私たちも本当にいいものを求めるようになっています。
農業を通じて知った「無駄があってもいい」と言う考え、それは「無駄」なんかではなく、無駄って本当は一番大切なことなんだと思えるようになりました。
なかには効率や無駄を省いて、いいものもあるけれど、それは全てではなくて、本当に必要なものまで無駄だと言って省いてはいけないと思いました。
それは、人間にもいえる事です。
人間にもいろんな人たちがいて、能力も様々、そのみんなが出来る事で協力しあい共に生きる社会が、本当の自然な社会の在り方だと思います。
活動でも、何一つ無駄なことなんてなく、効率を求めていたら「本当に困っている」方々の気持ちなんて分かるはずもなく、いっけん無駄に思えるような事にこそ、本当に大切な事が隠れている事が多いと思います。
無駄って、本当に無駄な事ってあるんでしょうか、世の中に必要だからみんなあるわけで、無駄と思っているのは、きっと人間だけで、自然界から見たらみんな必要な事なんでしょうね^ー^)人(^ー^
栗のトゲトゲだって堅い皮だって、食べる人間には、痛くて堅い無駄な必要のないもの、でも栗さんの目線で考えたら自分達の種を後世に伝えるためには、このトゲトゲや皮が必要なんです。
無駄なんて、自然界には何一つなんですヾ(=^▽^=)ノ
私たちも必要なんですo(^∇^o)(o^∇^)o