てぃーだブログ › 白くまのほのぼの日記 (アルビノと共に生きる) › 次の世代へと^ ー^)人(^ ー^

2010年08月10日

次の世代へと^ ー^)人(^ ー^

昨日は長崎平和公園で行われた『被爆65周年長崎原爆犠牲者慰霊祈念式典』の会場に式典が終わってから、訪れ65年前に原爆の被害にあわれ亡くなられた多くの方々の慰霊と戦後65年経ったいまでも原爆症に苦しんでいらっしゃる方々、ご遺族のみなさまの心の平安と世界平和を祈らせていただきました。

実は40数年前に、同じ場所を母も訪ねています。

中学を卒業後に尾張一宮にあった紡績工場で昼は働き夜は学校に通う生活を6年していました。

その当時は全国から多くの若い女性が出稼ぎに来ていたそうで母もその時に知り合った全国のお友達がいます。
その中でも特に仲がよかった数名の中に鹿児島の方(いまは親戚のおばちゃんです)がいてお休みの時に夜行鈍行列車で昔では珍しく時刻表を持って女性の一人旅をしていました。

今で言うところの『鉄子さん』かもしれませんね。

その鹿児島の帰りに長崎にも立ち寄っていました。

まだ私が小さい時にはよく母から旅のお話を聞いて、まだ見ぬ地「長崎」や「鹿児島」に思いを馳せたものです。

そして、母が訪ねてから40数年が経ち今度は私が母が旅した長崎へ来ています。

母の時代には夜行鈍行列車で20時間以上かけていたものが、いまでは九州新幹線が走り短時間で移動する様には変わりましたが、訪ねていた場所は変わらず昔の面影が残っているところも多いと思います。

今回の旅は、若き日の母の面影をたどり母が歩いた同じ道を歩いている気がします。

まだ結婚前の母は、いったい何を考え何を思って鹿児島や長崎の一人旅をしていたのでしょう。

そんな事を思いながら、長崎の街を歩いていました。

きっと母の訪ねた時はまだまだ戦後もまない時ですから今以上に心から被爆者の方々を思って祈られていつのでしょう。

こうして40数年経って、母の子供として産まれた私が母が祈った同じ場所に立ち祈らせていただけることを感謝の気持ちで祈らせていただきました。

平和公園をあとにした私はこれも本当に偶然なのですが、母が旅の途中で訪ねた諫早へ向かいました。

ここでは、数年前にネットで出会った総理さんご家族にお会いさせていただくために向かいました。

総理さんのお子さんは3人姉妹で、3女さんが私と同じアルビノとして産まれてきました。

諫早へ向かう車窓から外を眺め「きっとこの景色もひとり見ていたんだろうな〜」と思っているうちに諫早へ着きました。

駅では、総理さんが改札で出迎えをしていて下さって、すぐにお友達の運転する車に乗ってご自宅へ向かいました。

総理さんもお友達も、とても気さくでネットで知っていたとはいえ初めて出会ったとは思えないほど車の中で話が盛り上がりました。

ご自宅からは何度も娘さんから電話がきて「娘たちも緊張しているんですよ♪」総理さんがおっしゃっていました。

そして30分くらい走ってご自宅に到着しました。

ご自宅では、私が来ると言う事で、ご家族みなさんと娘さんが通う幼稚園の先生も来て下さいました。

お母様と総理さんと旦那さま、3姉妹さんと旦那さまの妹さん、お友達と幼稚園の先生、そして私の10名が集まって、長崎の郷土料理の皿うどんや多くの料理を囲んで、楽しい時間を過ごしました。

ここで知ったのが『皿うどんにはソースをかける』ということです。

全て手作りの郷土料理を美味しくいただいて本当に心からのご馳走に感謝の気持ちでお腹も心もいっぱいになりました。

今回はアルビノ当事者としてのお話をさせていただくために来たのが目的ですので最初は娘さんが私とタイプがほぼ同じだと分かりましたので私のアルビノ当事者としての経験と全国で出会わせていただいたアルビノ当事者さんやご家族さんから聞かせていただいたお話をもとにアルビノについてのお話を娘さんたちが楽しく遊んでいる中をお話させていただきました。

総理さんも旦那さまも、とても子煩悩で私にいろんな日常での注意することや幼稚園での生活について、いろいろと聞いて下さいました。

幼稚園の先生も、総理さんの現在3女さんを受け持っていますが3姉妹全員受け持った経験がありますので、本当のご家族を心配する様に幼稚園での生活について聞いて下さいました。

お母様も旦那さまの妹さんもお友達さんも3姉妹全員可愛くて可愛くてしかたない様で、とても可愛がっていらっしゃいました。

娘さんは私とは、男女は逆ですが長女さん次女さんは普通に産まれ3女さんがアルビノとして産まれていますが、3姉妹で仲良く遊んでいる姿を見て本当に安心しました。

これから、きっといろんな事がありますが、きっと総理さんご家族ならは乗り切って下さると思いました。

そして、総理さんが長崎まで旦那さまの運転で送って下さる時に「白くまさんの様に産んでくれた事を感謝できる子に育てるにはどうすればいいですか?白くまさんのお母さんの様に私もこの子を育てたいです」と言って下さいました。

私もまだ独身で、子育てもした経験はありませんから偉そうな事は言えませんが「子供たちの事を信じてあげて下さい」と母が私にして下さった事を言わせていただきました。

母も朝から晩まで働き、家に帰れば9人家族でしたから、炊事に洗濯に子育てに必死だったと思います。

私たち兄弟は、その姿を見て育ちました。

それを見て育った私たちは、いま大人になり働いて生きています。

親がそうしたように、いま親と同じに私たちもしています。

そうやって、次の世代、そしてまた次の世代へと続いて行くのでしょうね。

私が親になって、子供を育てる様になったら、私はアルビノ当事者としての前にひとりの人間として、そして親として子供たちと向かい合い、両親の様にはいかないとは思いますが、精一杯に生き、一生懸命に働く姿を見て育っていってほしいと願っています。

立派な事は何もしてあげられませんが、生かされている事に感謝し、生きられる子供たちなってほしいと願っています。

そして、何十年か経っていまの私くらい歳となり、私が祈ったこの長崎を訪れ、平和の祈りをして、私がここで思ったこと感じたことを、私がいま母に感謝できるように、産んで下さったお母さんに感謝できる様になって下さっていたらいいな♪そう思いました。

今回の旅もまた、生きている事に、多くの命に支えられている事に気がつき、アルビノ当事者としての前にひとりの人間として、感謝して生きることの大切さを学ばせていただきました。

この世界が平和でありますように。

世界中の誰もが平等で、人としての尊厳のある生き方ができる社会でありますように。

心より祈らせていただきます。



Posted by 白くま at 07:17│Comments(0)
 
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